少し前に、三木市上の丸にある金物資料館と三木城跡に行ってきました。
金物資料館には、金物に関する古い資料や金属製品などが展示されています。
他には、三木市観光協会が作成された金物ストラップを展示・販売するコーナーもあります。
かんなどん(鉋)、かわいくないですか?
三木の鍛冶用具と製品624点が文化庁の登録有形民俗文化財に登録されたということで、そちらも展示されていました。
兵庫県で初・金物業界でも日本初だそうです。すごいですね!!
すぐ横が三木城跡になるのですが、
別所長治公の像や、別所長治の辞世の歌碑などがあります。
三木城は、室町時代の十五世紀後半に別所則治によって築かれたお城です。
天正6年(1578)、五代目城主別所長治のとき、織田信長の家臣羽柴秀吉の軍に包囲され1年8か月に及ぶ兵糧攻めに遭います 。この戦いは三木合戦といわれ、籠城の悲惨さから「三木の干殺し」として有名です。兵糧攻めによる飢えから、籠城した兵士が壁土の藁を食べたという言い伝えもあります。
天正8年(1580)1月17日に長治一族の自害によって開城し、籠城した人々の命が助けられました。
秀吉は焼き討ちなども採り入れていたため、町は焼野原となりました。秀吉は、中国攻めの拠点として三木の城を考えたため、焼け野原となった町の復興を手がけます。赦免の制札で逃げ延びていた人々を町に呼び戻し、復興が始まり、各地から大工職人が集まり、彼らの道具を作る鍛冶職人たちも数を増やしていきました。
という様なお話もあります。
「金物のまち三木」と呼ばれるようになった理由のひとつかもしれませんね。
三木城跡は高台にあるので、とても眺めがよく、三木市街を一望できます。
鉄橋を渡る神戸電鉄も見えますよ。
金物資料館ではたくさん写真を撮らせていただいたので、何回かに分けてご紹介しようと思います♪
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